滝田 樗陰 たきた ちょいん

滝田 樗陰(たきた ちょいん)

滝田 樗陰(たきた ちょいん)

滝田 樗陰(たきた ちょいん)

滝田 樗陰(たきた ちょいん)

受入番号
72
資料名
滝田 樗陰(たきた ちょいん)
特長
『中央公論』の名編集者
滝田(たきた)
樗陰(ちょいん)
出身地
秋田市
出生年
1882年(明治15年)
没年
1925年(大正14年)
年譜
1882年 秋田市に生まれる。本名・哲太郎。
1903年 東京帝国大学文科大学入学。
    『中央公論』の翻訳を担当。(アルバイト)
1904年 『中央公論』記者となり文芸欄を設ける。
1906年 夏目漱石を執筆者に迎え漱石山房のメンバーとなる。
1909年 『中央公論』の編集の傍ら、徳富蘇峰の国民新聞社に入りまもなく退社。
    東京帝国大学を中退。
1912年 中央公論社編集主幹となる。
1914年 この頃より、デモクラシー思想の普及をめざす。
1925年 東京都で没。43歳。
資料解説
文芸雑誌『中央公論』によって論壇、文壇をリードする。
有名作家の作品を紹介するとともに、多くの新人作家を発掘。
吉野作造らの論説を掲載し、大正デモクラシーの風潮を牽引した。
分野
教育・スポーツ・芸術文化 / 言論・出版