鳥潟 右一 とりかた ういち

鳥潟 右一(とりかた ういち)

鳥潟 右一(とりかた ういち)

鳥潟 右一(とりかた ういち)

鳥潟 右一(とりかた ういち)

受入番号
121
資料名
鳥潟 右一(とりかた ういち)
特長
無線通信研究の先駆者
鳥潟(とりかた)
右一(ういち)
出身地
大館市
出生年
1883年(明治16年)
没年
1923年(大正12年)
年譜
1883年 大館市に生まれる。幼名・宇一。
1906年 東京帝国大学工科大学電気工学科を首席で卒業。
    逓信省電気試験所に入所。
1908年 タンタラム検波器を発明。
1909年 海外留学を命ぜられる。(~11年)
1912年 TYK式無線電話を発明。
1914年 三重県鳥羽で無線電話の世界初の実用化開始。
1915年 東京帝国大学より工学博士の学位を授与された。
1920年 電気試験所の第3代所長に就任。
1923年 東京都で没。40歳。
資料解説
亡くなるまでの十数年の短い研究生活の間に、無線と通信に関わる多くの発明を成し遂げる。
特にTYK式無線電話の発明により、世界で初めて無線電話の実用化に成功した。
分野
産業経済 / 工業