田口 掬汀 たぐち きくてい

田口 掬汀(たぐち きくてい)

田口 掬汀(たぐち きくてい)

田口 掬汀(たぐち きくてい)

田口 掬汀(たぐち きくてい)

受入番号
73
資料名
田口 掬汀(たぐち きくてい)
特長
『中央美術』を創刊
田口(たぐち)
掬汀(きくてい)
出身地
仙北市(旧角館町)
出生年
1875年(明治8年)
没年
1943年(昭和18年)
年譜
1875年 仙北市(旧角館町)に生まれる。
    本名・菊治のち鏡次郎。
1890年 角館尋常高等小学校卒業。
1891年 郡役所の雇、秋田新聞の通信員となる。
1900年 上京。新聲社の編集部記者。
1903年 万朝報に入社。11年、大阪毎日に入社。
1915年 中央美術社を創設、美術雑誌『中央美術』を創刊。
    日本美術学院を創立。
1916年 金鈴社を結成。
1943年 東京都で没。68歳。
資料解説
上京後、小説『人の罪』で一躍流行作家となる。
新聞小説、家庭小説、また新派創生期に演劇で活躍。
美術界では雑誌『中央美術』を創刊。
若い日本画家を集めて啓蒙運動を行う。
分野
教育・スポーツ・芸術文化 / 言論・出版