下田 菊太郎 しもだ きくたろう

下田 菊太郎(しもだ きくたろう)

下田 菊太郎(しもだ きくたろう)

下田 菊太郎(しもだ きくたろう)

下田 菊太郎(しもだ きくたろう)

受入番号
114
資料名
下田 菊太郎(しもだ きくたろう)
特長
異才の建築家
下田(しもだ)
菊太郎(きくたろう)
出身地
仙北市(旧角館町)
出生年
1866年(慶応2年)
没年
1931年(昭和6年)
年譜
1866年 仙北市(旧角館町)に生まれる。幼名・勝宏。
1887年 帝国大学工科大学中退。山口半六に師事する。
1889年 渡米。建築修業。シカゴ万博に参加。
    米建築家免許取得。
    八幡製鉄所・赤坂離宮の設計に貢献。
1898年 日本に鉄骨・鉄筋コンクリート造建築を伝える。
1904年 香港上海銀行長崎支店(重文)を設計監督。
1912年 帝国ホテルの設計を依頼され、略設計を完成。
1920年 国会議事堂の建築設計変更について、国会請願。
1928年 『思想と建築』を出版。帝冠式の主唱者となる。
1931年 東京都で没。65歳。
資料解説
バーナムに師事。日本人のアメリカ建築家免許第1号。
鉄骨・鉄筋コンクリート造の最新アメリカ建築法を日本に初紹介。
欧風一辺倒の日本建築界に抗し、欧米風の躯体に和風の屋根を載せた帝冠式による近代建築を主唱。
分野
産業経済 / 工業