狩野 旭峰 かのう きょくほう

狩野 旭峰(かのう きょくほう)

狩野 旭峰(かのう きょくほう)

狩野 旭峰(かのう きょくほう)

狩野 旭峰(かのう きょくほう)

受入番号
38
資料名
狩野 旭峰(かのう きょくほう)
特長
近代ジャーナリストの草分け
狩野(かのう)
旭峰(きょくほう)
出身地
大館市
出生年
1832年(天保3年)
没年
1925年(大正14年)
年譜
1832年 大館市に生まれる。通称 ・徳蔵、本名・良貴。
1849年 上京。塩谷宕陰、古賀謹堂の久敬学舎に学ぶ。
1874年 遐迩新聞初代編集長。のち主幹。
1884年 『雄鹿名勝誌』を刊行。
1889年 秋田魁新報に復帰。県史編纂主任。
1890年 『戊辰出羽戦記』を刊行。
1893年 『秋藩温故談』を刊行。
1894年 酔経学舎学長。翌年、文芸誌『棣華』を刊行。
1896年 『先憂文編』を刊行。
1925年 秋田市で没。93歳。
資料解説
遐迩新聞初代編集長、主幹。明治初期の秋田言論文芸界をリード。
秋田県史編纂主任として、郷土史の研究に当たる。
その後、酔経学舎学長となり、私学教育に尽力。文芸誌『棣華』を創刊、秋田漢学派の掉尾を飾る。
分野
教育・スポーツ・芸術文化 / 言論・出版