真澄クイズ(全国編)
1-1
尾張国(おわりのくに)で真澄が学んだといわれている薬草(やくそう)や鉱石(こうせき)などを研究する学問は何というでしょう?
1-2
真澄は美濃国(みののくに)(今の岐阜県(ぎふけん))で次のようなうずまき状の化石(かせき)を見てスケッチしています。この化石は何に使われていたのでしょう?
1-3
真澄がふるさとを旅立ってから一年余りを過ごした信濃国(しなののくに)は、今の何県でしょう?
1-4
この絵の橋を真澄は大工(だいく)の使う曲尺(かねじゃく)のようだと書いています。曲尺とは何のことでしょう?
1-5
この絵は真澄が越後国(えちごのくに)で見た油田(ゆでん)を描いたものです。では、地元の人ひとは石油のことを何と呼んでいたでしょう?
1-6
真澄より約百年前に松島(まつしま)を訪れ、『奥の細道』という紀行文を残した人は誰でしょう?
1-7
真澄が渡ったころの北海道はどんな様子(ようす)だったでしょうか?
1-8
林子平(はやししへい)が天明五年に著(あら)わした『三国通覧図説(さんごくつうらんずせつ)』の三国とはどこでしょう?
1-9
真澄の日記の題名にもみられる「外が浜」とは、古くはどのような地と考えられていたでしょう?
1-10
江戸時代、本州から蝦夷地(えぞち)(北海道)へ渡る時、現在の青森県で港として機能(きのう)していたのはどこでしょう?
2-1
真澄がさまざまな勉強をしていた尾張の国(おわりのくに)では、当時、次の図のような展示会をしていました。ここに出ているヘビの抜けがらは何に使うものだったでしょう?
2-2
次の人物のうち、真澄が三河(みかわ)から信濃(しなの)に向けて旅をはじめたころに江戸幕府で活躍していたのは誰でしょう?
2-3
真澄が信濃(しなの)や陸奥(みちのく)など諸国をめぐる旅の間、名のっていた名前は何?
2-4
江戸時代、旅人が泊まったり、休んだり、馬を乗り継いだりするためにできた町を何というでしょう?
2-5
出羽三山(でわさんざん)のひとつで、真澄も詣でたこの五重塔(ごじゅうのとう)のある山は何というでしょう?
2-6
旅人のために、街道の分かれ道などに置かれている道しるべの石を何というでしょう?
2-7
真澄が蝦夷地(えぞち)に渡ったころ、幕府(ばくふ)の政権を担当していた人はだれでしょう?
2-8
アイヌの重要な儀礼(ぎれい)である「イヨマンテ」を正しく説明しているのは次のうちどれでしょう?
2-9
本州と北海道を隔(へだ)てる津軽海峡(つがるかいきょう)を、江戸時代の人は何と呼んだでしょう?
2-10
真澄がその才能を見込まれ、弘前藩(ひろさきはん)に御用手伝(ごようてつだ)いを命ぜられた仕事は次のどれでしょう?
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