展示概要
菅江真澄は、秋田を再訪した1801年(享和元年)から1807年(文化4年)頃までの間、主に現在の秋田県北部(県北)を巡っています。ここでいう県北とは、能代山本・大館北秋田・鹿角地域を指します。
この間における真澄の日記は多く、県北にかかわる記録(特に日記)もたいへん多くあります。また、文政年間に入ってからの足跡も知られ始めています。日記についての概要は、本展示の5で紹介するとおりです。
さて、真澄は、一時期「白井真栖」の名乗を使っていた時期があり、それが1805年(文化2年)と1806年(文化3年)であったと考えられます。その後、白井真澄へと文字遣いを改め、さらに1810年(文化7年)初め頃から「菅江真澄」へと名乗を変えています。
本展示では、真澄が「白井真栖」を名乗った頃の日記について、その足跡と概要、そして特徴的な記事について紹介します。そのため、副題を「真栖のころ」としました。
本展示を御覧いただく皆様にとっては、真澄の足跡をたどる道標になれば幸いです。
展示期間
2011年10月22日(土曜日)から2011年12月4日(日曜日)まで