展示別カテゴリー: 秋田の先覚記念室 企画コーナー展
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からまで大仙市出身の後藤宙外は、払田柵跡の発見者として先覚記念室で紹介していますが、明治の中央文壇で小説家や評論家として活躍し、日本を代表する文豪との交流が伺える書簡が数多く見られます。 明治元年(1868年)より150年を迎えた今年、小説家や編集者、考古研究者など、多彩な顔をもつ宙外の生涯について、書簡を通して紹介します。
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からまで後藤逸女(ごとういつじょ 湯沢市出身 1814年から1883年)は、幕末から明治初期にかけて活躍した歌人です。かつて、才色兼備、婦道の鑑(かがみ)として称えられたその名は、現在はほとんど知られていません。生誕200年にあたる今年、秋田県立博物館の所蔵資料でその一端をご紹介します。逸女によって短冊や色紙に記された和歌、そして、その美しい「くずし字」をぜひご覧ください。
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からまで佐藤章(さとう・あきら 美郷町出身 1894年から1921年)は、秋田県出身者で初めて民間飛行士として活躍した人物です。黎明期の日本航空界で優れた業績を残しながらも悲劇の墜落死をむかえます。その短くも起伏に富んだ生涯を、当時の遺品資料を交えて紹介します。
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からまで生涯をツツガ虫病の克服に捧げた医師・田中敬助の生誕150年、そして寺邑政徳の没後50年という節目の年に、改めてその業績とともに、ツツガ虫病を取り巻く現代の状況を紹介します。
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からまで秋田県にかほ市(旧金浦町)出身の白瀬矗が率いる「白瀬日本南極探検隊」が明治45年1月28日、白瀬中尉をはじめとする突進隊は、南緯80度05分西経156度37分の地点に達し、見渡す限りの一帯を「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名しました。南極大陸の貴重な情報を手に、その後全員が無事帰国したこの冒険は、世界の探検家に比肩する偉業でもありました。夢をかなえるために人生のすべてを懸けた白瀬の生誕150年、そして南極到達100周年の節目を迎え、その業績と生涯をあらためて紹介します。