菅江真澄資料センター

江戸時代後期、現在の愛知県を出立し、長野、新潟、そして東北地方や北海道を旅して歩き、様々な記録を残した人物がいました。その名は菅江真澄。
当センター及び展示室は、真澄の資料や記録を集積し、真澄研究の拠点とするためにつくられた施設です。
特に秋田県には約29年近く滞在し、記録も多く残されています。真澄の残した記録は、私たちが暮らす地域の歴史や文化をより深く知るための手がかりとなります。

菅江真澄資料センター

江戸時代後期、現在の愛知県を出立し、長野、新潟、そして東北地方や北海道を旅して歩き、様々な記録を残した人物がいました。その名は菅江真澄。
当センター及び展示室は、真澄の資料や記録を集積し、真澄研究の拠点とするためにつくられた施設です。
特に秋田県には約29年近く滞在し、記録も多く残されています。真澄の残した記録は、私たちが暮らす地域の歴史や文化をより深く知るための手がかりとなります。

学びのはじめ

真澄の記録の中に記されている様々な知識は、各地をめぐる旅に出る以前に培われたであろうものが多く見受けられます。とりわけ、出生地・三河で学んだ国学や、その近隣である尾張で学んだ本草学などは、その後の真澄の旅を支える大きな礎となりました。
真澄が三河・尾張周辺で学んだ幼年期から青年期にかけて、交流した人々について紹介しています。

真澄の旅

30歳頃から旅に出た真澄は、その後、46年間もの長い年月を他国で過ごしました。その前半にあたる、およそ17年間の長い道筋についてを、信濃の旅、出羽・陸奥の旅、蝦夷地の旅、下北・津軽の旅の4つにわけて紹介しています。

出羽路をゆく

17年間ほど各地をめぐり歩いた真澄は、秋田に入りました。真澄は、かつて1年間ほど秋田を旅をしたことがあったので、これが二度目の秋田入りでした。そして、その後28年間は、秋田の地で過ごすことになります。これまで同様、各地を歩いて記録を残すことはもちろん、その他に随筆や地誌の作成にも力を注いでいきました。秋田の地で真澄が興味・関心を抱いた事柄を紹介します。

真澄研究の足跡

真澄の没後、その著作や功績が多くの人々に評価されてきました。今日では民俗学や歴史学をはじめ、植物学、美術史、国文学など様々な専門分野から関心が寄せられています。真澄研究にそれぞれの立場からアプローチした人物について紹介します。

企画展示コーナー

常設展示室内の一角を企画コーナースペースとして活用し、年に3回から5回ほどテーマを設けて資料展示しています。秋田県立博物館所蔵資料に限らず、借用資料なども展示し、真澄の筆致にふれる機会としています。

スタディルーム

真澄についての疑問を追究したり、さらに詳しく学んだりするスペースです。
図書を自由に閲覧できるほか、真澄に関する資料情報の相談などにも応じています。

菅江真澄資料センター 紹介動画

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菅江真澄資料センター 360度カメラ

矢印をクリック(タップ)するとカメラの視点を変更する事ができます。

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